四日市・鈴鹿の合併は立ち消え・・・(2002.12.20&4.末)


四日市と鈴鹿が合併するということで、このホームページ上でもかなり議論が白熱しました。
・・・でも、よっぽどのことがないかぎりなくなりました。とりあえず2005年までは・・。
これは、四日市・鈴鹿・楠町・朝日町で合併しようと、首長たち、そして議員達は奮起しました。 早く言えば、赤字財政からの脱却のためです。赤字の市・町政が合併すれば合併特例法でお金がもらえ、 人員削減でコストダウンが図れるため、きっと黒字になるはず!ということから(そりゃもっといろんな意味がありますが)、 鈴鹿のネームバリューと四日市の産業を生かした、50万都市を作って東海第2位の都市を、 そしてあわよくば政令指定都市になっちゃおうと市民の意見を聞かず、まっすぐ進んでいましたが、 スケジュールを決め、合併の詳しいことを決める法定合併協議会を作るために2市2町がそれぞれの議会で 提案したところ、四日市・朝日・楠では可決されましたが、鈴鹿市議会で12が20日に否決され、 法定合併協議会の立ち上げが出来なくなり、2005年が期限の合併特例法の期間中に実現することが不可能となりました。
鈴鹿市はもともと、亀山・関と仲がよく、四日市で言えば三重郡の様な存在。鈴鹿市は(というより鈴鹿市長は)、 シャープの来る亀山と30万都市四日市とどっちと合併するか最後まで迷い続け、 亀山・関には見放されて仕方なく四日市と合併する気になったものの、議員からは猛反発。 過半数が四日市との合併に「NO」を出し、合併は見送られることとなった。
この後、四日市は三重郡(特に楠・朝日)と、鈴鹿は亀山・関と合併をとりあえず模索していくこととなる。
さて、10年、20年後の四日市・鈴鹿は、どうなっているのでしょうか・・・。(2002.12)


2003年4月末に市議会議員や、鈴鹿の市長選挙などが行われました。 この選挙を四日市も静観し、合併に前向きな人たちが受かったら、何気なく合併の話を出してみよう、って 思っていたようですが、新鈴鹿市長は「亀山・関と引っ付きたい」と言っている(といっても亀山・関は迷惑がっている)。 そして、朝日町長が現職が落ち、合併反対の新人が当選したことにあり、朝日も駄目そう。 ・・・そして残ったのは面積8平方km弱の楠町だけだった…。 四日市って、やっぱり人気ないね。負の遺産なんだろうね、抱えているものが。


ニュースに戻るトップに戻る